東京地方裁判所八王子支部 昭和58年(ワ)38号 判決 1984年6月27日
原告 甲野太郎
<ほか一名>
原告ら訴訟代理人弁護士 葛西清重
被告 国際観光株式会社
右代表者代表取締役 根本正
被告訴訟代理人弁護士 西村孝一
主文
一、原告らの請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
(一)、被告は原告らに対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれらに対する昭和五五年二月二日から完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。
(二)、訴訟費用は被告の負担とする。
(三)、仮執行の宣言
二、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
(一)、当事者
1、原告両名は、昭和五二年六月六日婚姻し、同五三年七月二五日長女春子が出生した。その後、原告両名は昭和五六年一月二二日協議離婚し、現在に至っている。
2、被告は、クラブ、キャバレーなどの飲食店を全国各地で営業し、昭和五五年二月ころには、八王子市旭町一二番四号においても「八王子ロイヤル」「レインボー」などのキャバレー、クラブを営業していた。
(二)、長女春子の事故死の状況
1、原告乙山花子(以下原告乙山という。)は、昭和五五年一月二六日被告の経営する八王子市旭町一二番四号八王子レインボープラザ内クラブ「八王子ロイヤル」に勤務をはじめた。
原告両名の間には、前述のとおり、当時長女春子がいたが、原告甲野太郎(以下原告甲野という。)は理髪店に勤めていたことから、原告乙山は、長女春子を自らの勤務時間中、被告が前同ビル内で経営する託児所に預けることとした。
2、同託児所は、同ビル五階の五坪くらいの部屋があてられており、保母として訴外小野田満子、同大竹よし、同佐々木イツの三名が働いていた。
この託児所は、同ビル内のクラブ、キャバレーなどで働く従業員のために被告会社が経営する施設であり、午後六時ころから閉店時間である午前零時ころまでの間保育業務を行っていた。
そして、同託児所を利用する場合、一日について八〇〇円の育児費が徴収されていた。
3、同託児所は、一〇畳敷ほどの広さで、畳が敷いてあり、ベビーふとん、持物を入れる台の外には何ら施設はなく、ゼロ歳児から五、六歳児まで一五人ほどの幼児・児童を預かっていた。
保育業務の内容は、各自の持参した弁当を食べさせて、寝かしつけるのが主なもので、いわゆる昼間の保育所とはその保育内容には大きな差異があり、いわば、幼児・児童はほとんど放置されているといってよい状態であった。
4、(1)昭和五五年二月二日午後六時ころ、原告乙山は長女春子を同託児所に預けたが、そのときには、三人の保母のうち一番若い女性が受けとり、他の二人は見当らなかった。
(2)、同日午後一二時ころ、原告乙山が勤務を終えて長女春子を迎えに行ったところ、いつもは横向きで寝ることの多かった春子が、両手足を伸ばし、うつぶせで頭の上まで毛布をかけて寝ているのに気づき、さわると手足が硬直しており、顔面は冷たくなって死亡しているのを発見した。
このとき春子の顔面は、完全に敷蒲団に埋まっていた。
(3)、春子は、預けたときと同じ服装で、部屋の入口から左手奥のガラス窓の近くに寝ていたが、保母は何らそれ以前にはこの異変に気づいていなかった。
(4)、原告乙山は、ただちに救急車の手配をしたが、検死を行った八王子市千人町の医師吉井勇は、死体検案書に死因として「窒息死の疑い」と記載し、死亡時間を同日午後一一時ころと推定している。
死体解剖の結果からみても、右窒息死が死因と考えられる。
(三)、被告の責任
1、民法七一五条の責任
(1)、被告会社は、前述の小野田らを使用して前記託児所を経営していたが、右託児所は有料でありその目的は母親の勤務中、子供たちを安全に預かることである。
(2)、前記三名の保母には、右の目的を達成し、預かった子供の生命・身体を守るために、日常的に目を配り、安全を確保し、異変があったときには、直ちにしかるべき処置をとる注意義務があることは当然である。
(3)、しかるに、本件において、春子が窒息死したのであるから、それは直ちに気づくのが当然であるのに(他の子供は寝ていた可能性が非常に強いのであるから、より一層異変は発見しやすいはずである。)、何ら誠実に監視していなかったのであり、過失は重大である。
また、そもそも頭も隠れるような布団のかけ方にも過失があるし、俯せに寝かせることの危険性も、軟い布団に寝せる例の多い我が国においては、保育に携わる者にとっては常識であり、それを漫然と行っていた保母の過失は明らかである。
(4)、したがって、右の保母の使用者である被告には、民法七一五条によりこれによって生じた損害を賠償する責任がある。
2、民法七〇九条の責任
(1)、被告会社は、自らの営業を維持するために託児所を設置していたのであるが、このような託児所を設置する以上は、預かる幼児・児童の安全を確保するために、最低限必要な人的・物的条件を整えなくてはならない。
公立ないし認可保育園または無認可であっても補助金の交付される保育所にあっては、児童福祉法の趣旨にもとづき、各自治体ごとに保育基準が定められている。
(2)、被告会社の経営する託児所は、夜間保育という特殊なものであったとしても、有料であるとすれば、その責任は減殺されるものではない。
(3)、本件託児所においては、常時三名の保母がいたわけではなく、預け入れるときと、終るときには一人しかいないことも多く、途中でしばらくの間、全然いなくなることもあった模様である。
これは、都の基準としての、ゼロ歳ないし一歳児三名について一人の資格を有する保母の基準に外れていることはいうまでもなく、また施設そのものが、飲食店との同居という環境の劣悪さを考えても、施設自体の設置・管理に過失があったといわざるをえない。
3、被告の責任
(1)、保育契約の成立
原告と被告会社との間では、原告の子女を被告会社の保育施設において被告会社が保育し、それにたいし原告が対価を支払うという、保育契約とでも呼ぶべき一種の無名契約が成立している。
保育料は一日八〇〇円であり、給料から天引されていた。
(2)、右契約は、乳幼児を対象とするものであり、乳幼児の安全配慮義務が保育者に課せられるべきは当然である。
すなわち、乳幼児をその母親に代わって保育するにあたり、事故等の発生を防止し、万一事故発生の場合には、ただちに不慮の結果に至らぬように手当を尽くす義務がある。
(3)、しかるに、本件においては、被告においては安全な保育実施の履行義務に反していることは明らかである。
すなわち、本件事故発生の日である昭和五五年二月二日午後一一時ころには、保母小野田満子は帰宅しようとしており、以後は保母大竹ヨシのみが保育所にいたのみである。
保母大竹ヨシは、自ら保育する幼児の一人である春子の異変に何ら気づいた様子はない。
幼児については、事故が生じた場合、事態が急変する可能性が高いのであって、そのために保母は常に幼児一人一人に監視の目を届かせていなければならないはずであるのに、本件においてこの点についての配慮は不充分であって、安全配慮義務違反の過失があったものといわざるをえない。
(4)、従って、保母の雇用者である被告会社には、その履行補助者のおかした行為につき、債務不履行責任が存するのであり、それによって生じた原告らの各損害を賠償する責任がある。
(四)、損害
春子の死亡によって、原告らは自らの固有の損害の外に、春子の相続人として、春子の蒙った損害を各二分の一づつ相続した。
1、春子の逸失利益
春子は、当時一歳六か月であったが、同女は一八歳から六七歳までの五〇年間稼働することが可能であって、一八歳の女子の平均賃金は、昭和五四年度の賃金センサスによると年額金一七一万二三〇〇円であるところ、五〇年間の逸失利益はライプニッツ方式によると合計金六七八万六七〇一円となる。
2、春子の慰藉料
本件事故により同女の蒙った精神的苦痛は、金銭に換算すれば金一〇〇〇万円を下らない。
3、原告らの固有の損害
(1)、葬儀費用
原告らは、春子の葬儀費用として、すでに四七万八六九〇円を支出済みであり、近く同女の墓を建立する予定であり、その費用は墓石代として少くとも金一三〇万円、墓地使用料として金六〇万円かかる予定である。
(2)、慰藉料
原告ら両名は両親として、最愛の長女を失った悲しみは大きいのであり、その精神的苦痛を慰藉するには、金銭に換算すれば、それぞれ金五〇〇万円とみるのが相当である。
(3)、弁護士費用
原告らは、本件に関し、代理人を通じて被告会社と交渉を行ってきたが、決着がつかず本訴に及んだが、これに要する費用も本件事故と相当因果関係にあるのであり、原告ら訴訟代理人との間で、日本弁護士連合会標準報酬約款にもとづく費用・報酬の取決めをなしている。
よって、すくなくとも、前記各損害の一〇%については、被告に賠償する責任がある。
(五)、結論
以上の次第であるから、原告らは被告にたいし、民法七一五条、または同法七〇九条の各規定による不法行為または債務不履行により、損害賠償金請求権を有し、その内金各五〇〇万円および、不法行為発生の日である昭和五五年二月二日からこれにたいする民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。
二、請求原因に対する認否及び被告の主張
(一)、同(一)の1の事実は不知。
(二)、同2の事実は認める。
(三)、同(二)の1の事実は認める。
(四)、同2の事実について、保育料金の点を除き認める。保育料は子供一人の場合一日につき五〇〇円、二人以上の場合一日につき一人あたり四〇〇円であり、主として子供の遊具、本などの購入維持費に当てられていた。
(五)、同3の事実のうち、託児所の広さは認めるが、その余は否認する。受託児童数は一八名であり、うち常時預っているのは一日平均一三名程であった。また施設としては換気・冷暖房設備が施されており、ベビーふとん、整理棚はもとより、幼児の保育に必要な遊具・本・クレヨン等の備品は十分用意されていた。更に保育内容として受託時間帯の関係上、寝かしつけて母親の迎え時間まで預かることが中心になるのであり、幼児を放置したことは絶対ない。年長児については、就寝時間までの間、皆で遊戯をしたり絵を描いたりするなど、相応の保育も行っていた。
(六)、同4について
1、同項(1)について、三人の保母のうち二人が見当らなかったとの点を除き、その余の事実は認める。本件事故当日の午後六時頃には三人の保母は全員出勤していた。
2、同項(2)について、春子はいつも横向きに寝ることが多かったとの点及び春子の顔面が完全に敷蒲団に埋まっていたとの点を除いて認める。
春子は普段から俯せに寝る癖があった。このため保母も本件事故当日春子が俯せで寝ていることを確認していたが、特に不審には思わなかったのである。また敷蒲団の固さからして顔面が完全に埋まってしまうということはあり得ないし、春子の年齢(一歳七か月)から考えても、もしその様な体位で窒息するほど顔を蒲団に埋めこむことが起きたとすれば、直ちに自分で寝返りをうつなどしてその体勢を変え得たはずである。
3、同項(3)は認める。
4、同項(4)は認める。但し、春子の死因が窒息死であることは否認する。春子は本件事故の前日に大きな下痢をしており、このため母親が遊びに行っていた友人宅で、その家の子供の服用薬を飲ませていた。又一歳七か月の年齢に達した幼児が自ら寝返りをうつこともせず、窒息死するまで顔を蒲団におしつけているなどということはおよそあり得ないことを考えあわせれば、春子の死因は他の何らかの原因によるものと思われる。なお本件については警察・検察当局による捜査がなされ、その過程で春子の遺体解剖も行われたが、結局死因は不明とされ、昭和五六年二月末頃嫌疑不十分との理由で不起訴の裁定がなされている。
5、同項(5)は否認する。
(七) 同(三)の1について
1、同項(1)、(2)は認める。
2、同項(3)は否認する。春子の死因は窒息死ではなく、就寝中の春子に外観上明らかな異変は全く存在しなかった。
俯せ保育の危険性とは、寝返りをうつ力のない月齢の小さな乳児について指摘されていることであり、春子ほどの年齢に達した幼児が俯せで寝ることには何の危険性も存在しない。
3、同項(4)は争う。
(八)、同(三)の2について
1、同項(1)は認める。
2、同項(2)・(3)は否認する。本件託児所における保母の出勤時間は原則として午後四時から午前零時であり、出勤・退社はタイムカードによって管理されていた。時間外の延長保育にわたる場合に、保母一人だけが居残ることはあるが、これは保母の労働条件からやむを得ないことであり、右正規の勤務時間中は常時三人の保母が勤務していたものである。また施設が飲食店と同じビル内にあるのも本件託児所の目的上避け難いことであって、原告ら及び春子自身もそのことの便宜を享受していたのであるから、何ら非難されるいわれはない。
(九)、同(三)の3について
原被告間での保育契約の成立及び被告会社に同契約上の安全確保義務が存在することは認めるが、その余は否認する。
当日就寝中の春子の状況に外形的な異変は全く認められなかった。
(一〇)、同(四)・(五)項はすべて争う。
(一一)、乳幼児の死亡原因として、SIDSとよばれる突然死が認められることは、近時の医学界の通説であり、厚生省もその病理・疫学の解明にとりくんでいる。SIDSは「乳幼児の突然死のうちで病歴上予知することができず、しかも死後の検査によっても決め手となる死因の実証を欠くもの」を指すとされている。そして、その臨床的な特徴としては、乳児(一歳未満児)のみでなく、一ないし二歳の幼児にもみられること、死亡時期は寒い季節の夜間、睡眠中に多いこと、低出生体重児・人工栄養児や経済的に低水準の家庭環境におかれ、あるいは若年の母親の乳幼児に症例が多いことなどが指摘されている。右特徴およびSIDS死亡児にみられる解剖所見の特徴と、本件の事実関係、即ち春子が当時一歳七か月の幼児であり、死亡時期は二月の深夜であること、当日春子は風邪のひきかけで下痢気味であり、薬も服用していて体調は不十分であったこと、春子の栄養状態は余りよくなかったこと、母親は若く、当時の経済的生活水準は余り高いとは言えない状態であったこと等の諸事実および春子の解剖所見とを照応してみるとき、春子の死因はSIDSの範疇に属するものと認めるのが相当というべきである。春子の死因がこのようなものである以上、これについて被告の過失が問われる余地は全くないといわねばならない。従って、被告は同女の死について何ら法律上の責任を負担するものではない。
第三、証拠《省略》
理由
一、《証拠省略》によれば、原告らは昭和五二年六月六日婚姻し、昭和五三年七月二五日長女春子が生れたが、二人はその半年後に別居し、昭和五六年一月に離婚したことは明白である。
二、被告は、昭和五五年二月当時八王子市旭町において「八王子ロイヤル」というキャバレーを経営していること、原告乙山は昭和五五年一月二六日八王子ロイヤルに勤務をはじめ、勤務時間中春子を被告経営の託児所に預けたこと、同託児所はビル五階の五坪位の部屋が当てられ、保母として小野田満子、大竹ヨシ、佐々木イツの三名が働いていたこと、この託児所は一〇畳位の広さがあり、被告経営のキャバレーやクラブで働く従業員のための施設で、午後六時から閉店時間の午前零時までの間、保育業務を行っていたこと、昭和五五年二月二日午後六時ころ原告乙山は、春子を同託児所に預け、午後一二時ころ勤務を終えて春子を迎えに行ったところ、春子が手足を硬直させ、顔面は冷くなって死亡しているのを発見したこと、しかし保母らはこの異変に気づいていなかったこと、原告乙山は直ちに救急車の手配をし、検死が行われたことは、当事者間に争いのないところである。
三、《証拠省略》によると、被告経営のレインボープラザの託児所では一日八〇〇円で子供を預かっており、以前相当多数の幼児を預かっていた頃は保母の資格をもったものもいたけれども、預かる子供の数が次第に少なくなるにつれて、資格のある保母はいなくなった。昭和五五年二月頃預かっていた子供の数は一〇人位で、ゼロ歳児はおらず、すべて歩くことができる幼児であった。保母の大竹は、それまで約五年間の勤務経験があり、受持時間は午後八時から一二時までであった。又佐々木は勤務経験は約二年で、受持時間は午後三時から九時までであった。
保母は、被告会社から、幼児が病気のときは預からないようにと文書で指示されていた。そして、子供に何かあれば直ちに母親に連絡し、救急病院に連れていくことになっていたが、それまでに年一・二度熱を出したことがあった程度で、怪我をしたようなことはなかった。
同託児所では、これまでにも数回春子を預かったことがあり、原告乙山は春子を昭和五五年二月二日の午後八時頃同託児所に預けたが、その時預かった保母の小野田に対して、春子がお腹の具合が少し悪いと話した。春子は少し前から風邪をひいていたのか咳をしていたが、その他別に異常があるようには見えなかった。春子は当日はぐずったけれども、二・三日前にもぐずったことがあり、気に止める程のことはなかった。又春子は当日持ってきた握り飯とジュースを飲食した。
預かって間もなく、佐々木は帰り、そのあとは大竹と小野田で子供達の面倒をみた。
春子は他の子と殆んど遊ばないでぐずったので、大竹は春子を仮眠室に連れていって大きい子と五〇分位遊ばせた後、九時頃寝かせ、寝つくまで子守唄を歌って背中をさすってやった。春子は一〇時頃寝入り、俯せで顔を窓の方に向け掛布団を肩までかけ口や鼻は出ている状態であった。布団は被告会社で用意したもので、大人用の敷布団にシーツを掛け、毛布に掛布団をかけたものであった。
その頃部屋の中は、コタツに入らなくても暖かい程度に暖房がきいていて、汗をかくこともなかった。
子供達が寝ついたあと、保母は託児室と仮眠室の掃除や片づけものや、その他の仕事をしていて、トイレに行く以外外に出ることはなかった。
小野田は午後一一時頃帰宅し、大竹は午後一二時頃幼児の母親達が仕事を終って子供を迎えに来るので、大きい子から順次起している内に、原告乙山がきた。そこで大竹が原告乙山に、手が足りないから起してと頼み、同人が春子を起したところ、すでに冷たくなって死んでいた。しかし、春子が寝ているときに他の子供が上に乗りかかったとか、他から危害を加えたようなことはなかった。
保母らは春子がよく寝ていると思って、別に気に留めることもなく、起してはかわいそうと思い、おむつを替えることもしなかった。
以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
四、春子の死因についての鑑定の結果は、《証拠省略》によると、春子の口唇、指爪床にチアノーゼが見られ、肺にうっ血があり、表面に大豆大の表在性気腫が散在し、腎臓にうっ血が強く、脾臓にもうっ血、出血があり、脳、脳膜にうっ血、血浮腫があり、心臓内、大動脈の血流は、暗赤紫色流動性があることから、鼻口閉塞、胸腹部圧迫による呼吸運動障害又はこの両者の合併による窒息死も否定できない。春子は一年六か月であるが、同年齢の子に比較すると小さいし、臓器の状態から見て栄養不良である。
春子の身体の内外の症状で気道閉塞をもたらしたと思われる外部的な異状は認められない。
又頭部に軽度の傷害はあるが、何処かにぶつけたかころんでできた程度の傷で、致命傷になるものではない。
乳児が俯せに寝ていてそのまま死亡することが起りうるが、一歳を過ぎると自分の力で寝返りを自由にすることができるので、乳幼児突然死症候群とも思われるとしている。
五、ところで、《証拠省略》の文献によると、
(1)、かつては、明確な死因の顕出ができない幼児の死亡の場合は、殆んど窒息によるものと即断されてきたが、近年次第に研究が進むにつれて、単なる窒息死ということでは片付けられないことが判明してきた。
(2)、そこで、一九六九年にシアトルで乳幼児突然死の原因に関する第二回国際会議が開催された。そして、健康な乳幼児が、常日頃の仮眠または夜間に就寝したものが、その直後または翌朝になって死亡したことが気付く突然死があり、それは生後六か月までの乳児が多いいが、危険年齢はおおよそ三歳未満までで、時には鼻かぜまたは感冒程度の症状を呈するといった事例が多々あり、このような症状をSIDS(乳幼児突然死症候群)と呼称された。
(3)、しかしながら、我国の剖検実務家のなかには、SIDSを認知しようとはせず、乳幼児突然死の大多数は、間質性肺炎(胞隔炎とか肺胞炎などの肺疾患)が死因であるという見解を踏襲している。SIDSとは「死後の検査によっても決め手となる死因の実証を欠くもの」であり、解剖結果が「間質性肺炎」とか「鼻口閉塞による窒息」とか「吐乳吸引による窒息」であれば、SIDSではないと単純に考えているものもいる。
(4)、これに対して、これらについては歴然たる実証があるかというと、有るのは肉眼的解剖所見、即ち血液が暗赤色流動性であるとか、粘膜や奨膜下に溢血点が認められ、諸臓器にうっ血があるということであって、これらは窒息死の所見ではなく、突然死の所見であり、気道内に吐乳が入っていたからといって、溺死の所見を伴わない気道内の乳汁介在は、人工呼吸などの操作で死後でも容易に形成される。又顕微鏡所見で軽度の細胞浸潤を認めても、肺炎による死亡の所見ではないとする考え方もある。医学界の動向が以上のとおりであることが見受けられる。
六、SIDSが現在医学界の定説であるか否かはしばらくおくとして、少なくとも乳幼児について解剖によっても死因が詳らかでなく、それまで健康であった三歳位までの乳幼児が寝ている内に突然死におそわれる例が相当数あることは間違いのないところである。
そこで、前記認定した諸事実を総合して考察するに、本件においては、春子は解剖の所見では、吐乳吸引の現象は認められないし、いささか風邪気味ではあっても、死に至る程の肺炎の症状もない。さらに、鼻口閉塞或は胸部圧迫による窒息死かというと、春子は俯せで寝ていたとはいえ、顔や鼻口は布団から出ていたものであり、仮に何等かの拍子に、閉塞状態に陥ったとしても、春子は生後一年六か月であるから、自分の力で十分に寝返りを打つ等して右状態から脱することが可能であり、これを死因とは考え難い。
なお、心臓、呼吸器、その他の臓器の疾患も認められない。
それなのに春子は、寝ついて二時間後に起してみると死亡していたというのであり、そして、同人に対して外力を加えた形跡が全くない点等を総合して考察すると、まさに前記のSIDSに関する諸条件を満しているものということができ、原告の主張する窒息死の可能性はきわめて少ない。
そして、右のような春子の状況であったとすれば、春子に異変が起ると予想されるような何らの徴候もうかがえず只風邪気味であるとか、お腹の具合が少し悪いとか、ぐずったということはあっても、これらの事実から春子の異変とを結びつけて予測することは、たとえ医師であっても到底困難であり、まして通常人にとっては不可能である。
従って、保母らにおいて春子が、よく寝込んでいるものとして、そのままそっと寝かしたままにしたからといって、これを過失と認めることは到底できないところである。
そうだとすると、保母らの使用者たる被告について、民法七一五条の使用者責任を負担せしめることもできない。
七、原告らは、夜間の保育という特殊な施設に三人の保母について一人も保母の資格を有するものがいない点、又子供を預けるときと受取るときに保母が一人しかいない点、被告会社に過失があると主張するが、たとえ保母の資格を有したものがいたとしても到底これを予知し、何らかの処置を採ることはできないと思われることは前記認定のとおりであるし、又保母三人の内、子供を預かっている時間の殆んどは二人ないしは三人がついているのであり、預かるときと返すときの短時間一人しかいなかったとしても、預かる子供の数が一〇人位であるから、必ずしも設備が不備とはいえないし、本件のような事情では、何人保母がいても結果に変りがあるとは思えないので、因果関係があるとは考えられない。従って、被告に設備上の管理に過失があるものとはいえない。
八、なお、原告の安全配慮義務違反の主張に対して本来安全配慮義務は、事故発生の危険性に対する安全配慮の必要性を前提とするものであるから、事故発生が客観的に予測しうる場合でなければならない。
従って、結果発生の予見可能性のない事故についてまで安全配慮義務を問われることはない。
ところで、本件では前記認定のとおり、春子の死の結果を予測することは到底不可能であると考えるので、被告に対して安全配慮義務を問うことはできないものというべきである。そして、この事は被告の託児所に資格のある保母がいたとしても、右結論に変わりはない。
九、以上のとおりであるから、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく失当として、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 安間喜夫)